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  • 金子鷗亭筆(1906-2001)島木赤彦歌、紙本墨書、一幅、138.6×33.9、金子均氏寄贈
  • 23、印と印譜

    23-4、自用印コレクション

     

    当館では、浅見喜舟、千代倉桜舟、安東聖空、徳野大空、伊藤鳳雲などの自用印を収蔵しています。
    自用印コレクションのなかには姓名印や雅号印、堂号印、蔵書印、また住所印など、様々な種類のものが確認できます。

     

    仮名作家の印を数多く手掛けた喜田谷苑(1914-2003)の作は、安東聖空の自用印のなかに多く見受けられ、作品にも頻繁に使用していたようです。
    聖空は、谷苑の師である石井雙石の作を「もの堅い中に、深い愛情のただよう印刻」と称賛し、また「先生の高弟喜田谷苑の作品に先生の名作以上の愛着を感じる」と述べるほど谷苑の印を気に入っていました。

     

      

    喜田谷苑刻「正郎」 側款:谷苑

     

       

    喜田谷苑刻「正」 側款:谷苑

     

      

    喜田谷苑刻「聖空」 側款:谷苑

     

      

    喜田谷苑刻「聖空」 側款:谷苑

     

      

    喜田谷苑刻「聖」 側款:谷苑

     

    安東聖空「桐の花抄」(ブログ6-1にてご紹介)の落款に喜田谷苑刻の印を使用しています。

     

      

    喜田谷苑刻「聖空」 側款:谷苑道人

     

     

    また、伊藤鳳雲も谷苑の印を好んで永く愛用していました。
    石井雙石に学んだ谷苑ですが、シャープな刻線を得意とし、現代の仮名作品に適した刻印を遺しています。

    金比羅宮の神職であった喜田谷苑は、そこに西谷卯木や西村桂洲らを招き、毎年書道の講習会を開いていました。正筆会の顧問を務め、仮名作品が多いなかで篆書作品を発表し、正筆会の作家のために印を刻す機会が多くあったようです。

     

      

    喜田谷苑刻「鳳雲」 側款:平成元年一月十日谷苑

     

      

    喜田谷苑刻「鳳雲」 側款:谷苑

     

    伊藤鳳雲「人麻呂の歌」昭和45年改組第二回日展菊花賞受賞作
    この作品に使用している印がこちらです。

      

    喜田谷苑刻「鳳」 側款:丙午七月谷苑刻(昭和41年(1966))

     

    伊藤鳳雲「可古嶋」昭和52年千草会書展

    落款印がこちら。

      

    喜田谷苑刻「鳳」 側款:谷苑刻 木印

     

    その他に、梅舒適(1914-2008)、小林斗盦(1916-2007)、中村淳(1921-2005)、中島藍川(1928-2018)、古川悟(1929-1998)、森川二華(1930-1982)、尾崎蒼石(1943-)など、鳳雲時代の篆刻界で活躍する作家たちの作が揃っています。

     

      

    梅舒適刻「鳳雲」 側款:丁齋刻壬戌(昭和57年(1982))

     

    伊藤鳳雲「いろは歌」平成元年第33回現代書道二十人展
    落款には中村淳刻「鳳雲」を使用。

      

    中村淳刻「鳳雲」 側款:乙丑晩秋淳刻(昭和60年(1985))

     

     

    千代倉桜舟(1912-1999)の自用印のなかには、渡辺春園、高石峯、劉佳明、古田悠々子、酒井康堂、古川悟、稲村龍谷、酒井子遠、香川峰雲、石井雙石、大澤竹胎、小木太法などの幅広い作風の印が揃っています。また、本人が刻したものもあります。

     

      

    千代倉桜舟刻「Ohshu」 側款:一九七五年千桜舟自刻

     

      

    香川峰雲刻「桜舟」 側款:峯雲作

     

      

    酒井子遠刻「桜」 側款:庚午子遠 (平成2年(1990))

     

      

    古川悟刻「桜」 側款:丁未七月悟刻 (昭和42年(1967))

     

    ブログ(10-3)で紹介した千代倉桜舟「春殖」に押印する3顆は、古田悠々子によるもの。
    こちらは平成元年(1989)の個展出品作です。その前年に刻された「桜舟」の印は12.3×12.3㎝もの大きな印で、こうした大作に押すために用意したものかもしれません。

      

    古田悠々子「桜舟」 側款:悠々子作一九八八年 (昭和63年)

     

      

    古田悠々子「月」 側款:月悠々子作

     

      

    古田悠々子「水」 側款:文日水悠々子作

     

     

    浅見喜舟(1898-1984)の自用印は石井雙石(1873-1971)がもっとも多く12顆、二世中村蘭台(1892-1969)5顆、内藤香石(1908-1986)5顆、木村翠陰5顆、野阪叫星4顆、上條信山7顆、喜田谷苑15顆、香川峰雲4顆、酒井康堂1顆、朴松蔭2顆あります。

     

      

    内藤香石刻「喜舟」 側款:乙巳五月香石作 (昭和40年(1965)) 木印

     

      

    石井雙石刻「華甲」「喜舟」「福徳山人」 側款:雙石作

     

      

    二世中村蘭台刻「喜舟蔵書」 側款:蘭台秋 木印

     

     

     

    木村翠陰刻「天象閣之人」「楽琴」「浅錦吾印」 側款すべて:翠陰作 木印
    この3顆組の印を作品に使用しています。

    浅見喜舟「帰家穏座」昭和56年

     

     

     

    徳野大空(1914-1974)の自用印は二世中村蘭台7顆、野村無象9顆、遠藤彊7顆、そのほかに平尾孤往、高石峯、小林斗盦、伏見冲敬、古川悟などがあります。前衛的な作品に合わせて数多くの種類の印を集めていたようです。なかでも二世中村蘭台と平尾孤往の印は、よく使っています。

     

      

    小林斗盦刻「大空」 側款:斗盦

     

     

     

    平尾孤往刻「徳野輝雄」「大空」 側款どちらも:孤往山人

     

      

    二世中村蘭台刻「大空」 主要作品に好んでこの印を使用しています。

     

    「草原」昭和38年(1963)

     

     

    「主」昭和37年(1962)

     

     

    「品」昭和39年(1964)

     

    制作の最後に押す印は、作品を仕上げる重要な役割を持ちます。それぞれの作品に合う印を選ぶため、数多くの自用印などを集めている書家も多いでしょう。これらの自用印コレクションから多くの作家が確認でき、書壇や展覧会活動以外でも彫り手として活躍する人びとの姿を知ることができます。(田村彩華)

  • 13、松﨑コレクションの古写経

    13-4、装飾法華経巻第二

     

     

    金泥で界を引き、天地に大小異なる金銀の切箔や砂子、野毛などで華やかに装飾された紙に『法華経』巻第二が首尾一貫して書写されたもの。紙背にも一面に銀の切箔が撒かれ、長い年月が経ち、それが紙面に抜けて模様のようにも見えます。もとは今よりも光り輝いていたのでしょう。

     


    裏面

     

    現在、この一巻と一具になるものは確認できませんが、八巻本の『法華経』、または開結を伴って十巻一具とされたものと考えられます。

     

     

    平安後期から鎌倉初期ころは、貴族社会の中で王朝貴族の耽美趣味と末法思想、法華信仰とが相まって『法華経』を中心とした装飾経が多く書写された時代でした。
    最澄が比叡山に天台宗を開宗して以来、『法華経』は根本経典と定められ、さまざまな講会が地域や階級をこえて盛んに行われました。多くの人が『法華経』の利益を信じ、流行することとなりました。これを結縁した宮廷貴族の趣向を反映して、本紙や文字、軸や紐、題簽などの装丁にも装飾意匠の善美を尽くした装飾経が誕生していったのです。

     

     

     

    この一巻もこうした背景に生まれたものとみられ、その装飾技巧が「平家納経」や「久能寺経」などと近い趣であることから、その成立は平安末期ころのものと考えられます。「久能寺経」「平家納経」「慈光寺経」のように経巻ごとに異なる装飾を施した、一巻経なのかもしれません。

     

    文字は、肉厚で天平経を思わせる堂々とした書きぶりです。ところどころに本文とは異なる手で朱点や読み、異同が記され、表紙や見返しはのちに補われたものとみられます。
    紙や装丁まで意匠を凝らし、文字も素晴らしく、装飾経の首尾一貫したものとして貴重です。(田村彩華)

     


    巻末

     

     

    【掲載作品】成田山書道美術館蔵 松﨑コレクション
    装飾法華経巻第二 1巻 平安時代 彩箋墨書 28.0×1244.5㎝