王羲之や「秋萩帖」などを学んだ米山のコレクションは、書幅6件、日記1件、拓本14件、全21件です。米山の書は伊予松山で親しみ愛され、数多く残されていました。日尾八幡神社の宮司の家に生まれた米山は、60歳まで神職にあり、神社や祭礼に関わる書を多数揮毫しました。境内の入り口に建てられた「鳥舞魚躍」をはじめ、松山市周辺に多くの碑が建てられています。当館に収められた拓本は、それらの石碑を、新倉勇一氏、金木和子氏が採拓したものです。
青山杉雨氏をはじめ、各所からご寄贈いただき、53件の作品や資料を収蔵しています。
唐津藩の侍医の子として江戸日本橋に生まれた春洞は、明治維新後は早くに致仕して書を専らとしました。徐三庚に師事した秋山碧城が帰国時に携行した篆書出師表と隷書郭林宗碑に惚れ込んだのを機に大きく書風が変わります。当館のコレクションは、春洞が次第に碑学への傾倒を深め、重厚感を増していく過程を理解できる内容となっています。また、春洞の中国趣味への傾倒ぶりを示す自刻の砂壺などの仿古製品の拓本もあり、書と向かい合う文人の営みも感じることができます。