11、手紙

11-2、近衛家煕 一条院門跡宛書状

 

五摂家の筆頭、近衛家の21代当主である近衛家煕(1667-1736)の書状をご紹介します。
宛先の「一門様」は一条院門跡の真敬法親王(1649-1706)のことです。一条院門跡は以前の山階寺(現在の興福寺)。当時、伝橘逸勢筆「伊都内親王願文」は山階寺におさめられており、これはその「伊都内親王願文」の借用を申し入れた書状です。

 

 

 

 

家煕は、予楽院と号し、有職故実をはじめとする詩書画、茶道や華道などに精通する文化人でした。父基熙の影響を受けて平安朝の名筆に惹かれ、上代様の書を蒐集し、臨書や模写をすることに情熱を傾けました。

後水尾天皇の皇子で家煕の母の兄弟であった真敬法親王から上洛の知らせを受けた家煕は、「伊都内親王願文」を必ず持ってきてほしいと念を押したのです。

 

 

 

家煕はこのように古典や古筆を手元に寄せ、数多くの名筆を模写しています。その多くが真筆からの臨書や模写で、徹底して原本に忠実に写しとろうとしています。ほとんどが原寸大で、臨書や模写だけでなく双鉤填墨によるものもあります。

その対象となる古典や古筆は幅広く、中国の碑法帖や日本の漢字、仮名、和歌懐紙、消息などバラエティに富み、家煕の臨書したものをまとめた「豫楽院臨書手鑑」が陽明文庫に遺っています。

 

 

江戸時代くらいになると、「秋萩帖」や「風信帖」、「伊都内親王願文」などの様々な名筆が法帖(墨帖)として刊行されるようになりました。

 

 


「集古浪華帖第一」伊都内親王願文 文政2(1819)年刊行

 

 

今日のように写真撮影ができるわけでもなく、広く公開もされていない時代です。どこかの時点で家煕のように誰かが模写をしなければそれができなかったことでしょう。
この家煕の書状からは、そのきっかけとなるような様子が見える気がします。

 

家煕は20代を中心として、生涯にわたり名筆の臨書や模写を繰り返して書を学びました。
御家流や唐様が広く親しまれる中で家煕は近衛家にあった名筆を手本に書を学び、平安朝の書を規範とした珍しい人物とも言えます。この書状は内容もさることながら、晋唐の古典をしっかりと学んだ背景が垣間見える骨格のある筆跡で注目されます。(田村彩華)

 

 

 

【掲載作品】成田山書道美術館蔵
「一条院門跡宛書状」近衛家煕 一巻 紙本墨書 15.6×87.3㎝
「集古浪華帖第一」 森川竹窓(1763-1830)編集 文政2(1819)年刊行 折帖