2、西川春洞と西川寧
2-3、西川寧
今回は西川寧(1902-1989)を取り上げます。
前回紹介した西川春洞の門弟には諸井春畦(1866-1919)、武田霞洞(1865-1935)、豊道春海(1878-1970)などの逸材が多く出ました。
なかでも搨を重ね、緻密な作業から文字を学ぶ春洞の性質を受け継いでいるのが子息の西川寧でしょう。
金文や石刻文字などから実証性の高いものに源流を求めました。
幼少期から春洞の真似をして石印に文字を刻したり、筆を持って遊んだりして書に親しんだ寧は、篆書に早くから興味を抱き、5歳にして「寿」の文字をお皿に書き、6歳で「仁者寿」の印も刻しています。
本人はこれが篆書との最初のなじみであり、縁結びであると回想しています。(『西川寧著作集』第五巻『書道講座』第五巻、1956年2月)
中学2年生で父を亡くしてからは春洞の遺した資料をもとに学び、慶応義塾大学に進学して中国美術史を学んだのちに東京教育大学で教授を務めました。
寧の作品の背景には、何度も中国を訪れて励み勤しんだ文字学や書法の研究があります。
これは昭和30年(1955)寧53歳の時の作品です。
『詩経』小雅に出てくる天保九如のひとつで、長寿福録を祝う言葉を書いています。
「今までのような、篆書の定型に従ったものではなくて、無理にもそこから逃げ出してみよう」と本人が言うように、「静」的な篆書に動きを加えた「動」の表現を求めました。
このころから積極的に篆書の作品に取り組んでいます。
もう1点は権量銘を臨書した作で、落款から昭和18(1943)年に揮毫されたことがわかります。
40歳ころの比較的若い作品です。
独自の主観を抑えて丁寧に取り組んでいるように感じます。
この一幅を所持していた青山杉雨の箱書きがあります。
西川寧は戦後の書壇を牽引した存在として知られていますが、書と書学の両面の領域において成果を遺した人物でもあります。
『書跡名品叢刊』『書道講座』『書品』などの編集、解説を手掛け、書を学ぶ方法を見本として示しました。
青山杉雨、浅見筧洞、小林斗盦、牛窪梧十、関吾心、新井光風など現代書壇で活躍する作家を数多く輩出し、現在もその精神が受け継がれています。(田村彩華)
【掲載作品】どちらも成田山書道美術館蔵
※1「南山之寿」 西川寧 昭和30年 紙本墨書 額 70.0×113.5㎝ 西嶋慎一氏寄贈
※2「臨秦権量銘」 西川寧 昭和18年 紙本墨書 軸 140.5×25.6㎝ 青山杉雨氏寄贈