3、中林梧竹と三輪田米山
3-4、三輪田米山と「秋萩帖」
米山が学んだ「秋萩帖」は江戸時代から数種類の墨帖が刊行されており、御家流に寄せた墨帖もできるなどして手本として流通していました。
これには橘千蔭(1735-1808)の跋文があり、数多く刊行されていたもののなかでも原本に近い姿であると高く評価しています。
米山は実際どのようなものをもとに学んでいたのか定かではありませんが、こうした墨帖から学んでいたのでしょう。
江戸時代の禅僧である良寛(1756-1831)もまた「秋萩帖」を学んでいます。
良寛が「秋萩帖」を臨書したものです。
これは御家流に近い墨帖をもとに臨書したのではないでしょうか。
良寛は数種類の「秋萩帖」の墨帖を所持していたといい、この他に細身で真跡に近い趣のある臨書作品が遺っていることからもわかります。
米山も良寛も御家流が主流であった仮名とは異なり、「秋萩帖」を基盤に独自の様式を展開していく姿が共通します。
しっかりと形態を学ぶというよりも上代様の仮名の空気を取り入れて、良寛は素朴で繊細な表現を、米山は墨跡風とも感じられる大胆な表現を作り上げていったのではないでしょうか。(田村彩華)
【掲載作品】どちらも成田山書道美術館蔵
※1「秋萩帖」墨帖 折帖 一冊
※2「臨秋萩帖」良寛 紙本墨書 軸(一幅) 26.5×12.1㎝