6、安東聖空と大字仮名運動の人びと
6-3、桑田笹舟「料紙は書家の家である」
今回ご紹介するのは今日の関西における仮名の隆盛の基を築いたひとり、桑田笹舟(くわた ささふね/1900‐1989/名は明/広島県福山市の生まれ)の作品です。現在、ふくやま書道美術館にて『生誕120年桑田笹舟展』が開催されていることもあり、笹舟に注目が集まっています。
昭和32年、尾上柴舟が死去すると、笹舟は師である安東聖空や日比野五鳳、田中塊堂、内田鶴雲、谷辺橘南、宮本竹逕らと、大字仮名運動を興しました(黒沢明監督の映画タイトルになぞらえて大字仮名「七人の侍」と呼ばれています)。それまでの帖・巻子にあわせた繊細な仮名の表現から、現代空間に調和させるような、大きな仮名表現を追求する仮名の現代化が始まったのです。笹舟は古筆の鑑定や料紙制作にも詳しく、独自に理論と実践を展開しています。やがて昭和の仮名の金字塔といわれる「日月屏風」(昭和61年)のような、大胆な料紙装飾に見合う骨格の充実した仮名を確立しました。
笹舟の仮名への関心のはじまりは、書道雑誌がまだ少ない頃に刊行された『書苑』(法書会)に紹介される古筆の世界に刺激を受けたことだといいます。また、同じ頃に田中親美が料紙と古筆について多数の研究を発表し、大正末期から昭和初期は仮名書道の黎明期でした。
師・安東聖空との出会いは、神戸市立の教員養成所に入学してからのことでした。その時に習字の講師を務めたのが安東聖空。意外にも、笹舟は当時は字が下手で、その講習の時間が苦痛であったと懐古しています(『桑田笹舟の世界』谷口光政著)。二人は赴任先でも交わり、やがて大正十三年に合格した文検が大きな契機となりました。笹舟は一楽書楽院(のちの一楽書芸院および書道笹波会)を創立し、そこに文検指導部も設けました。すると反響を呼び、多くの文検合格者を出すとともにその会員たちが基盤となり、会は急成長していきました。昭和4年には安東聖空とともに正筆会を設立し、『かなとうた』を発刊。この雑誌は関西はもとより関東においても人気に火が付き、笹舟は編集主任として精力を注いだのでした。そのような充実もあり、昭和15年には笹舟は教師を退官、書の道を専らにします。
ところで、笹舟を語る上で「料紙」に注目しないわけにはいきません。
料紙に目覚めたのは大正14年の日本書道作振会主催の公募展でした。次のような下絵の作品を出品して入賞したといいます。
以前「書苑」などで古筆の下絵を見た事がありそれを想いだし「から紙」の文様、墨流しを応用して、その流れを山に見せた。その下に松を描き橋も描き、その上には馬に乗った旅人が居る。山と松の間を鶴(金泥)が飛び、彼方に渚を描いた。それが下絵であった。
こうして仮名作品の制作にあたって、古筆研究や料紙の追究が不可欠であることを、肌身をもって感じたのです。また、田中親美や料紙制作者の宮田三郎との出会いも大きな影響をもたらしました。特に、どうしても親美に会いたかった笹舟は、二度にわたって手紙を出しましたが、返信がなかったために直接訪問して親しくなったといいます。
時には原料を現地に求め、和紙の漉元を尋ねたりなどして、笹舟はひたむきに現代的な仮名表現にふさわしい料紙を求めました。特に重視したのは、墨色の本領を発揮させるような料紙の開発です。昭和十五年頃からは実際に版木を彫り、摺って加工してみて、紙質や装飾の本質を知ろうとしています。その意識は表具にもおよび、「一体性」を重んじました。
笹舟は書学の原点のひとつに「手で見る」ことを挙げます。
手は「顏よりも何処よりも表情の豊かさをもち、そして可能性に満ちている」「一本の手は単調に繰り返す忍耐力を持ち、そして他の一本は次から次に変化していくことに順応する」と言います。「覚える手」と「創り出す手」です。
昭和五十六年、田宮文平氏は笹舟に寸松庵色紙の復元本を贈られたた時に、つぎつぎに解き明かされる制作過程を「まるでミステリの傑作でも読むようです」と文を寄せました(『「現代の書」の検証』田宮文平書)。
寸松庵色紙は、笹舟が生涯研究した古典の一つで、不明な点が多い名跡です。笹舟は装丁や料紙の文様、歌の並びなどから、古今和歌集の四季の歌を全部書いたという全書説をとり、「粘葉本寸松庵古今集」を提案したのでした(『近代かな書を切り拓く 評伝 桑田笹舟』谷藤史彦著)。
笹舟のこうした研究の積み重ねは作品に結実します。「ゆふもや」はその好例でしょう。
自分の思い描く理想を求め、労をいとわず用具をこしらえ、細部にわたり構成が練られています。
「料紙は書家の家である」という笹舟の業を辿ると、筆跡のみならず書をとりまくものへの愛着が自ずと増していきます。笹舟の遺した作品の一つひとつが、仮名書道の真髄たるものを私たちに問いかけているように思えます。(谷本真里)
【ご紹介した作品】
「夏山の」一幅 紙本墨書136.1×34.9 高木聖鶴氏寄贈
「ゆふもや」昭和62年現代書道二十人展 一幅 彩箋墨書 32.0×48.0 桑田三舟氏寄贈
「あしびきの」一幅 彩箋墨書 18.0×14.0 大森華泉氏寄贈