7、西谷卯木

7-3、西谷卯木の大字仮名

大正十五年の東京府美術館(現東京都美術館)設立を契機に、書は加速度的に現代化の道を歩み出しました。仮名の世界も然り、「七人の侍」に象徴されるような仮名の現代化すなわち大字仮名運動を展開します。今回はその動きを牽引した西谷卯木の、大字仮名作品に注目してご紹介します。

成田山書道美術館には、大字仮名作品の変遷を辿れる作品がそろっています。西谷卯木の昭和32年の日展の特選受賞作は、その始まりとして位置付けられる作品です。

 

 

卯木の大字仮名に対する関心は、すでにこの作品よりだいぶ前にありました。昭和十三年七月号の「卓を囲んで」に「大字のこと共」で大字仮名について言及し、未踏の境地を拓くべく意志を表しています。しかしながら公募展の作品選考の事情なども絡み、独自の検証に留まっていたのでした。「乗鞍は」はそれまでの卯木の大字仮名表現における思想を表した初期の代表作といえるでしょう。

 

続いて昭和40年の作品です。から紙を用い、漢字表現に通ずる線質を仮名に見出したようです。濃さのある淡墨を前面に、渇筆をアクセントにしているところが、先ほどの作品とは対照的です。この時期は、用筆や料紙、墨色などさまざまな試みが行われ、大字表現も絶えず工夫を繰り返した時期であったといいます。

 

 

卯木といえば、空襲(昭和20年)で左腕を失ったことが引き合いに出されます。身体的な不便さが作品制作に直接的に与えた影響はもちろん大きいのでしょうが、内面的に大きな変化をもたらしたと言われています。

 

晩年の作風は「左手喪失によって、不安定になった左右のバランスを武器にして、その中から新たな安定を導き出すという、短所を長所へと転換させた」作品が特徴です(「生誕百年・受贈記念 西谷卯木展」成田山書道美術館)

 

その表現の入口にあたるのが、昭和48年の「松風」です。小さな文字は潤筆で、大きな文字は渇筆で、特に渇筆はかなり穂先を開く部分もあり、変化の大きい線質です。随所に、単体や扁平な文字を交えることで縦への流れに区切りを持たせています。

 

 

 

この作品で印象的なのは余白の抒情性です。同時期の他の作品にも同様の傾向が見られるようになります。

昭和40年代後半の卯木の作品に、長く傾倒していた良寛の書の特質が、自身の手に馴染んだ様子が表れ出します。良寛特有の放ち書きや扁平な字形の要素が、卯木の作風の完成へと導きました。良寛の近世的な表現は、古歌に相応しい流麗な仮名に留まらない、文学との調和を図るためにも必要だったのでしょう。

こうした大字仮名の表現を模索する過程の研鑽は、小作品にも応用され、卯木の仮名表現をより幅広いものへ押し上げたのでした。

 

 

 

最晩年の作、昭和50年の「高麗人は」は、意思的に生みだされた、卯木の大字仮名作品の集大成に位置付けられる作品です。
細くしなりのある線質が際立ち、簡素な印象です。画数の多い漢字を単体にし、右肩下がりの文字の多いところが特徴的です。

このように卯木の大字作品だけを辿っても、仮名の世界が自律的な発展を経た芸術であることがわかります。そして、卯木の生き様や作品はたしかに後世の者への道標となりました。
西谷卯木コレクションは、日本の近現代書道史の一側面を如実に物語っています。(谷本真里)

 

【ご紹介した作品】
「乗鞍は」昭和32年 日展特選受賞作 59.5×48.4 一面
「藤波の」昭和40年 日展 131.0×33.0 四曲半双
「松風」昭和48年 日展 48.0×37.4 一面
「高麗人は」昭和50年 現代書道二十人展 36.2×100.2 一面