8、今関脩竹

8-2、今関脩竹 「白の世界」

 

今回も、昭和35年に藍荀会を設立し、関東の仮名を牽引した今関脩竹の作品のご紹介です。
彼は関西の仮名とはひと味違った魅力を生みだしています。

2013年、当館は「今関修竹展」を開催しました。その鑑賞会において藍荀会の現会長・清水透石氏は、そのみどころを「白の部分をどのように構成しているか、脩竹作品では最も大切な要素」と伝えました。脩竹は一貫して「白」をどう映すかに重きを置きました。そのために必要なのは「空間を生かせる筆力」であるといいます。

 

「沖つ辺に」昭和45年

 

「うしもろとも」昭和49年

 

その一要素に、墨つぎを極力控えた粘りのある線質が挙げられます。脩竹は昭和35年頃から独自の渇筆の妙を志向したように見えます。一見軽快でありながら粘り強さのある線質は、脩竹の人となりにもどこか重なります。年を重ねるごとに、筆圧が高くなっていく傾向があり、その渋みは増していきます。

 

「さみだれや」昭和60年

 

こうした筆力によって生かされる「空間」も見逃せません。「空間」を辞書で引くと「何も無くあいている所」とあります。書においては主に余白を指すことが多い言葉でしょう。昭和39年「ひさかたの」などの昭和40年前後以降の作品からもわかるように、「空間」の意識化は早期から始まっています。
「みちふさぐ」のようなそれまでにも試みている形式でも、線が変化することで余白が変化し、脩竹のいう意味のある「空間」が生じているように思えます。

 

「みちふさぐ」昭和46年

 

また、最晩年作「馬追蟲の」は「寸松庵色紙」を下敷きにしながら、枯れた線と潤筆の大きなコントラストによって余白の奥行きが増し、理想の「空間」を得ているようです。寸松庵のみやびの世界に端を発しながら、どこか禅味を帯びた脩竹の仮名に変貌しているのです。

 

「馬追蟲の」昭和63年

 

「二三日」にはこうした脩竹の考えが凝縮されています。

一行目の「二三日」は単体で字間を設けるとともに少し墨を多めに、二行目の「掃かざる庭の椎」では墨継ぎせず割れた穂先もそのままに書き進みます。中心軸を半文字分ほど右にずらしながら紙面の中央を貫き、それに寄り添う「おち葉」で初めて短い連綿線を用いて控えめにまとめ上げます。一行目と二行目の空間もさることながら、左右と下、とりわけ左側に残された余白には寂寥感が漂います。この句の詩情と余白とが相俟って、見るものの心を揺さぶります。

 

「二三日」 昭和57年

 

脩竹の作品に派手さはありません。高い用具もあまり好まなかったといいます。敢えて時代に迎合するものを書かなかったようにも見えます。終始一貫、求道的に「白」にせまった脩竹の作品は、普遍的な書の美が凝縮されています。

 

書は筆一本に託する表現であるから、
一本の筆であらゆる可能性の線を引くことができるところまで持っていくことが、
書の勉強でしょうね

(谷本真里)

 

【ご紹介した作品】
「沖つ辺に」昭和45年 日展 一幅 135.0×52.0 / 「うしもろとも」昭和49年 日展 一幅 135.0×50.0  / 「さみだれや」昭和60年 現日展 一幅 135.0×51.0  / 「みちふさぐ」昭和46年 現日展 二曲半双 133.0×100.0  / 「馬追蟲の」昭和63年 日展 一面 69.0×135.0 / 「二三日」 昭和57年 かな書展 一面 70.0×70.0