9、革新的な表現
9-4、革新的な表現 武士桑風
武士桑風は、大澤雅休率いる平原社の機関誌「平原」(昭和23年創刊)に、第二号から臨書観などを執筆寄稿しています。当時はまだ20代後半。雅休は「人格の平等、自由、人格尊重、文化の尊重、生産とは物をつくりだすこと」と主張しており、若かりし桑風の活躍は会の理念を象徴するものがありました。
桑風は長寿を得たことで、書における前衛的な表現の胎動から隆盛、そしてその後の時代をリアルタイムに生きています。自らも昭和43年に現代書作家協会を興して、現代書展や現代臨書展を主導しました。昭和32年に発足した日本前衛書作家協会の趣意書にもみられる「前衛運動の更に活発な展開を促進するため」でしょう。また、たびたび開催された大澤兄弟の回顧展にも尽力しています。
桑風は、大澤雅休歿後の遺作における日展陳列拒否問題について、豊道春海と激しい論争を巻き起こしました。なぜ雅休の作品が陳列されないのか、ひいては「書」として扱われない理由を求めたのです。平原社を代表して矢面に立ったのが桑風でした。その論争は明確な回答を得られぬまま、ついに雅休の遺作が日展の会場に並ぶことはありませんでした。
この作品は、生涯繰り返し題材にされた「神話」シリーズの一つです。表現としては晩年に多い、濃墨による渇筆を多用かつ幾多の線を重ね合わせたり独立させたりする、画のような作風です。紙面全体にわたり線を引きます。人や神らしきものを対象とした造形に「命」が宿るようです。紙面の外へ伸びていくような線は、独特に広がりのある世界観を描きます。
4回にわたってアップした「革新的な表現」のテーマ中では、もっとも抽象性が高い作品といえるでしょう。あきらかに文字から距離を置いています。米倉守氏が「行動としては文字の根源的な性質を求めようとする実験」というように、文字ではない何かを書いているのですが、練り上げられた線には書の特質を見出だすことができます。
非文字の領域に足を踏み入れた同世代の比田井南谷は1980年代に入ると極端に作品発表の数が減少します。一方の桑風は最晩年まで活発に作家活動を展開します。その背景には、雅休の日展陳列拒否問題があるのかもしれません。一見、既存の書の概念の対極にある造形を生み出し続けることで、現代社会における書の領域、さらには「書」というものの核のありかを問い続けていたように見えます。
「書」とは何故に「書」といえるのでしょうか。
「品」のような形を書いた上田桑鳩の「愛」にしても、磨崖の岩肌を思わせる墨の飛沫による大澤雅休の「黒岳黒谿」にしても、それまでの書の概念に大きな変更を迫る作品でした。
9-2でご紹介した比田井南谷の「心線作品第1・電のヴァリエーション」について、千葉市美術館は「戦後の造形芸術全体の中でも重要な意味を持つ」と評価します。今日の書が「芸術」として位置づけられ、いわゆる伝統派も前衛派も、「造形」を意識していることは明白です。
近年、世界的な美術史再構築の流れのなかで、こうした前衛的な書の一部は世界市場に流失しているといいます。令和という新しい時代を迎え、こうした書における検証と再評価が特に求められているように思えてなりません。(谷本真里)
【ご紹介した作品】
「神話」平成11年現代書作家協会展 一面 178.2×178.2