10、書のことば、書のかたち

10-2、書のことば、書のかたち 

徳野大空「草原」

 

 

書は、「ことば」と「かたち」の掛け合わせ方、そして距離の取り方によって、表現に奥行きが生まれます。この作品は「草原」というタイトルと併せ見ると、一見「かたち」に寄るようですが、「艸」字を素材にすることで「ことば」を掛け合わせた、書表現による作品です。

作品の構成は、数多の「艸」の字です。作者は「艸」の字を五万字くらい書こうという心づもりで制作にあたりましたが、その正確な数はいまだ不明です(数えたことがありません)。仕上げるのに4日間を費やしたといいます。中台青陵は、「隅々まで鋭い書の線で描かれてある」といい、その線質を評価します。細部に目を凝らすと、「針切」を思わせる潤筆と渇筆による繊細な線を織り交ぜた「艸」が空間に奥行きをもたらし、まるで遠方で草がたなびくかのようです。にじみや「艸」の大小もおりまぜながら、墨一色で絵画的に「草原」を描きます。そこには光が宿り、時間の流れを感じさせる世界が広がります。説明がなくても、見る者に理想郷を連想させます。

 

作者である徳野大空は、昭和27年に独立書道会(現独立書人団)創設と同時に副理事長に就任し、師である手島右卿と現代書の在り方を模索しました。昭和41年には東京タイムズ紙面において書道展を主宰し、自身も昭和42年に玄潮会を興しました。

「ことば」を素材にしながら、「かたち」から迫ることを重要として「こころ」の表現を試みようとしたと思われる初期の作品としては、昭和26年「雷紋」や昭和29年「流洲」などがあります。手島右卿がサンパウロ・ビエンナーレに「崩壊」を出品し、その意味するところが漢字圏外の人びとにも伝わったことで話題を呼んだのは昭和32年。こうした「かたち」への追究は、大空の思想に大きく影響したことでしょう。

実際、昭和30年代には、古代文字や仮名、漢字を素材に、淡墨を中心とした小字数の作品を手掛けています。その流れのなかで、昭和38年に「草原」は生まれます。これが作品に結実したのには、伏線があります。そこからさかのぼること約13年、草字の古文を書いた「芽生え」を『墨美』に発表したところ、獅子文六の目にとまり、文芸春秋社刊行本の表紙に起用されました。その頃から「草原」は構想されていたのです。

 

「草原」は、大空が「過去40年間に亘って見てきたあらゆる草原を理想化した私の心の中の草原である」といいます。それは、この時代の作家たちが書における「ことば」と「かたち」への意識を先鋭化させたことによって意図的に成立させた現代の書の側面を物語ります。また、この作品は「艸」という象形文字を、再びもとの原始的な表現に還すことで、「ことば」の「かたち」に着目しています。こうした作品は、様々に実験的な表現が試された1960年代だからこそ、発表し得たのでしょう。「草原」は、近現代の日本書道史を象徴しています。(谷本真里)

 

【ご紹介した作品】
「草原」昭和38年 独立書展 二曲半双 69.5×138.0