10、書のことば、書のかたち

10-5、書のことば、書のかたち

弔辞草稿 梅原 龍三郎

 

 

「ふーさん」という大きな書き出しは、まさに呼びかけそのものです。奉書紙のような厚手の用紙を横半分に裁断して4枚半、訥々と思いを書き綴っています。

これは洋画家として知られる梅原龍三郎(1888-1986)が、生涯にわたって交友のあった画商で美術評論家、福島繁太郎(1895-1960)のために作成した弔辞の草稿です。随所に訂正の痕がみられ、福島とのやり取りを回想しながらことばを選んでいた様子がわかります。さらに、事後、活字にされたものか、ペンや鉛筆、赤字による修正も加えられています。こうして旅立っていった親友に贈る最期のことばが紡がれていったのです。

パリに長く住んだ福島が形成し、日本にもたらした「福島コレクション」にはルオーやピカソなどの名品が目白押しでした。とりわけルオーとは親しく交流しています。若手発掘の眼力も備えていた福島の存在は、日本の画壇に大きな影響をおよぼしました。

パリに渡ってルオーの作品に衝撃を受けた梅原もまた、福島とそのコレクションに影響を受けた人物の一人です。太平洋戦争をはさんで35年にわたって続いた二人の交流が、日本の洋画壇に新たな潮流を生み出したのです。

梅原は書にも関心が高く、大燈国師をはじめとする墨跡をコレクションしたことでも知られています。朴訥とした書風は、白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、あるいは民藝運動の柳宗悦などを連想させるものです。パリから帰国した梅原の個展を開催したのは白樺社でしたので、自然にその風が身についたのかもしれません。

梅原の福島に対する思いは、長文の一画一画に丁寧に込められているのでしょう。句読点ですらないがしろにしない書写態度からは、福島への敬意と親愛の情が垣間見られます。梅原のことばもさることながら、この書きぶりが二人のあいだにあった親密な交流を物語っているようです。(髙橋利郎)

 

【ご紹介した作品】
「弔辞草稿」昭和35年 各19.7×54.9 5枚