12、古写経手鑑『穂高』

12-3、6葉の「蝶鳥下絵経」

 

蝶鳥の下絵が入った写経は数多く遺されています。中正先生もとても丁寧に集めていらっしゃいました。料紙だけでも数種類確認され、色紙、香紙、丁子吹きのもの、素紙などがあり、金銀を主に緑青泥を用い、蝶、鳥、草花、折枝などの下絵を天地、または一面に描いています。『穂高』には雰囲気の異なる6種類を下冊の冒頭に収めています。

手鑑では冒頭の伝聖武天皇筆「大聖武」の次に押すのが通例で、国宝手鑑など多くの手鑑に名物切として収められます。筆跡は異なるものの「蝶鳥下絵経」すべてを伝光明皇后筆としています。しかし、この伝称は和様の女性的な趣を感じさせることから生じたもので、光明皇后よりずっと時代の降るものです。

 

一番初めの断簡(穂38)はよく見られる象徴的な「蝶鳥下絵経」です。

 


※穂38

 

香紙の茶地の料紙に天地欄外だけでなく紙面全体に蝶鳥などの下絵が施されています。なかにはこのように蝶鳥の下絵を後から書き入れたものもあるようです。

 

 

 

次に貼り込まれるもの(穂39)も同手で、紙の寸法と罫界線とが穂38と同じです。丁子吹きの料紙で色味がやや異なりますが、近いものと思われます。丁子を煮出した煮汁で染めた紙は古くから尊重され、防虫の効果を果たしていました。虫喰いを防ぐことは写経用紙としては都合がよかったのです。

 


※穂39

 

 

 

次の3行の「蝶鳥下絵経」(穂40)は素紙に下絵の装飾が施された珍しいものです。穂38、39とは書風が異なりますが、金の罫界と寸法、蝶鳥の下絵が似通い、料紙においては近いものと考えられます。

 


※穂40

 

 

 

また、穂41も素紙ですが、穂40とは料紙装飾や書風が異なります。上品に撒かれた金銀の揉箔と控えめな白紙は、一層文字の美しさを引き立てているように感じられ品格高いです。

 


※穂41

 

 

 

こちら(穂42)は素紙に銀を主に金泥と薄い緑色を用いて蝶鳥と草花折枝が描かれています。装飾は素朴で簡素なものですが丁寧に描かれ、紙面に華を添えています。文字は抑揚のきいた和様体です。

 


※穂42

 

実はこの断簡、もともと一巻だったものから切り離しています。その一巻は松﨑コレクションにあります。

 

 

最後の断簡(穂43)は、淡藍に染められた紙に金の揉箔が撒かれたもので、一般的な丁子吹きの「蝶鳥下絵経」とは異なる色紙に書写されたものです。

 


※穂43

 

 

紫、茶、黄、緑、藍、白色などと色変わりの紙を継いで書写するもので、それを分割するとこのような「蝶鳥下絵経」になります。抑揚の効いた線で、丸みのある穏やかな風が料紙と相まって美しいです。センチュリーミュージアムコレクションの紫紙に蝶鳥下絵を施した4行の断簡と一連のものと考えられます。

 

「蝶鳥下絵経」は光明皇后を伝称筆者にあてていますが、書風、下絵の技法が「桂本万葉集」に類似することなどから、平安時代中ごろのものと推定されています。金銀泥で蝶鳥折枝を描き、さらに金銀の箔を撒いて、本文は優美な和様の写経。平安貴族の美意識を反映しています。『穂高』には6葉の「蝶鳥下絵経」が貼り込まれ、料紙や書きぶりが異なりそれぞれに見どころがあります。(田村彩華)

 

 

【掲載作品】 成田山書道美術館蔵 松﨑コレクション(古写経手鑑『穂高』)
※穂38 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経譬喩品第三 平安時代 彩箋墨書 23.9×18.4㎝
※穂39 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経安楽行品第十四 平安時代 彩箋墨書 24.1×5.6㎝
※穂40 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾観普賢経 平安時代 彩箋墨書 23.2×5.4㎝
※穂41 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経信解品第四 平安時代 彩箋墨書 24.9×1.7㎝
※穂42 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経嘱累品第二十二 平安時代 彩箋墨書 25.5×19.0㎝
※穂43 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経妙荘厳王本事品第二十七 平安時代 彩箋墨書 22.5×5.4㎝
番号は『青鳥居清賞 松﨑コレクションの古筆と古写経』図録と対応しています。