16、浅見喜舟・錦龍と千葉の書

16-2  浅見喜舟・錦龍と千葉の書 受け継がれる房総魂2

父浅見喜舟の遺志を継ぎ、書星会を率いて日本全国に「書星会ここにあり」と名を馳せたのが浅見錦龍です。文人肌で教育者としての一面を持つ父喜舟の影響を受けながらも、手島右卿に益を受け、現代書の醍醐味ともいえる壁面芸術としての特徴を存分に生かした大画面の作品に積極的に取り組みました。

 

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「丁當」は玉が触れ合う麗しい音色を表しますが、こちらの作品からは強い気迫を感じます。まるで決断を促す玉玦の響きです。直情的な表現は錦龍の得意とするところですが、心に響く余韻は、戦時中特攻隊員として待機し、生死のはざまを体験した経験が作品に表れているからかも知れません。

 

千葉師範以来、浅見喜舟の薫陶を受け、自らは近代詩文書の世界で輝いた一人に種谷扇舟が挙げられます。現代人が理解しやすい口語文体は、時に書の持つ高雅さとの両立が課題となりますが、扇舟は中国の古典に学ぶことでこれを克服しようと決意、数万点にも及ぶ拓本を蒐集し、中国には国交が正常化される前から足しげく通って書法の摂取に励みました。こうした活動は、日中関係の潤滑油として大きな功績を遺しています。

平成6年の個展で発表された作品がこちらです。

 

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鄭道昭に私淑し、スケールの大きな摩崖碑に魅了された扇舟らしい一作です。扇舟は55年間、県内で教鞭を執り後進を指導しました。その遺風は今も生き続けています。

 

千葉師範学校で喜舟の指導を受け、その後田代秋鶴に師事した鈴木方鶴は、長きにわたり千葉で教鞭を執る傍ら、私淑した渡辺沙鷗の研究をまとめました。50代で没し、震災や空襲で消えかけていた沙鷗の資料をまとめ上げた業績は特筆に値します。鈴木方鶴の作品がこちらです。

 

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この作品からも感じられるように、一画をおろそかにしない安定した書きぶりで、落ち着いていて味わい深い書をよくしました。

千葉師範学校を卒業後、生涯を千葉で過ごしながら尾上柴舟、ついで日比野五鳳と戦前、戦後を代表する作家の薫陶を受けた高木東扇は、粘葉本和漢朗詠集を根底に置く上代様を重んじた柴舟から、骨格のあるかなを大きく書くことで壁面芸術の可能性をひき出した五鳳に続く現代かな書の変化の道程を間近で学び、千葉の書にも新風を起こしました。

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こちらは東扇68歳の時の作です。使い込んで穂先が減った京都龍枝堂製「鳳友」の小を使い、九段下玉川堂製「加工一番」の半切に書かれた作品は、穂先が紙をしっかり掴み、また筆の弾力を生かした筆運びで生命力がみなぎり、高揚感に満ちています。

 

同じく尾上柴舟の下で書に励んだ奥田家山も千葉の書を支えた一人です。内閣総理大臣官房の辞令専門官として公の書を支える一方、書作では歌人としての才能を生かし、自詠歌を料紙と調和させた情感あふれる作品を多く遺しました。

 

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この絶筆となった平成10年の日展出品作は、毎日使う小筆への感謝を自詠の長歌と自らの書画で表した作です。仰々しさとは無縁の自然体の美しさがあふれています。(山﨑亮)

 

【掲載収蔵作品】

※1浅見錦龍 丁當 1幅 紙本墨書 172.9×68.8cm 平成21年改組第41回日展出品作  書星会寄贈

※2種谷扇舟 悠遠なる摩崖碑 10幅 紙本墨書 各237.1×57.2cm 平成6年個展出品作 種谷萬城氏寄贈

※3鈴木方鶴 高人多愛静 1幅 紙本墨書 138.1×33.2cm  鈴木栄子氏寄贈

※4高木東扇 元日の空 1幅 紙本墨書 136.9×34.7cm 昭和62年 高木厚人氏寄贈

※5奥田家山 貂の小筆 1面 紙本着色墨書 45.2×70.4cm  平成10年改組第30回日展出品作 奥田育子氏寄贈