16、浅見喜舟・錦龍と千葉の書

16-3  浅見喜舟・錦龍と千葉の書 受け継がれる房総魂3

戦後日本の高度経済成長を首都東京のベットタウンとして支えた千葉県は、それまでにも増して人の往来や思想の交流が盛んになりました。千葉を多彩に彩る作家をご紹介します。

 

君津出身の千代倉桜舟は昭和18年に応召後、シベリア抑留を経て帰国し、体育館で筆を持って走り回るような大作や、アルファベットまで駆使し、魂に訴えかけるような情感あふれる書を多く遺しました。

 

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宗左近の実体験を詠んだ衝撃的な詩を桜舟は朱墨と観音像を摺り込んだ紙でまるで走馬灯のように書き上げています。空襲と抑留の違いこそあれ、戦争の過酷な体験が通じ合ったのでしょう。戦後桜舟は大澤雅休・竹胎率いる平原社に参加し、活動を共にしました。農民出身で、等身大の人々を表現したいと考えた雅休・竹胎の開拓者精神あふれる平原社の思想がここにも表れています。

 

群馬出身の小暮青風は国府台女子学院などで教鞭を執り、市川市の図書館長を務めるなど千葉の文化に寄与する傍ら、鈴木翠軒に師事して慈味あふれる書を多く遺しました。

 

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学生時代からアララギに投稿するなど文学への造詣の深かった青風は、万葉歌や松尾芭蕉の句を多く書いています。墨の濃淡を生かした表現で、はかなさと強さが交わりあった深みを感じます。

 

船橋出身の金子聴松もまた千葉師範学校で学び、その後師の金子鷗亭とともに、戦後の大衆に開かれた芸術書の確立を目指し、全国的な活動を展開しました。一方で故郷千葉では長年教鞭を執り、千葉の書の啓蒙に努めました。常に冷静で、大人の風があったといわれています。

 

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平成10年の毎日書道展五〇回記念日本の書の現在展に出品された作です。敦煌の莫高窟を訪れた感慨を自らの言葉で書いています。大作の大字作品ですが、余白の白が生き、すっきりとした明るさを感じることができます。生と死の境界線に想いをはせる聴松の心情が察せられ、得意とした剣道の「残心」にも似た余韻を感じる一作です。

 

東京に生まれた揚石舒雁は東京学芸大学卒業後、千葉で教鞭を執る傍ら、幕張出身の中台青陵に私淑し、回瀾書展などで活動しました。展覧会全盛の現代に生きた舒雁でしたが、一方で文人的思想を持ち、日常の生活で使われる書を大切にしていました。当意即妙を是とする舒雁の作品は、一枚書きが多かったといいます。

 

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壮年時には赤羽雲庭に作品を「繊弱」と評された舒雁でしたが、晩年のこの作からはそのような印象は感じられません。重みを増した書は、六朝碑や趙之謙などの影響を感じます。その強さをただ前面に出さない技術は舒雁の真骨頂でしょう。舒雁はクラッシックを聴きながら作品制作をしていました。このあたりに舒雁独特の風の秘密がありそうです。

 

今週は浅見喜舟・錦龍と千葉の書ということで収蔵品をご紹介しました。千葉はゆかりの作家がとても多く、1週間では全貌を捉えきれません。改めて別の機会にご紹介できたらと考えています。(山﨑亮)

 

【掲載収蔵作品】

※1千代倉桜舟 燃える母 十曲一双屏風 紙本朱墨書 各128.0×64.9cm  平成2年個展出品作

千代倉桜舟氏寄贈

※2小暮青風 萬葉歌二首 1面 絹本墨書 各157.9×39.9cm  平成元年現代書道二十人展出品作 松声会寄贈

※3金子聴松 敦煌莫高窟の荘厳を拝し出て 1幅 紙本墨書 237.1×88.8cm  平成10年毎日書道展五〇回記念日本の書の現在展出品作 金子均氏寄贈

※4揚石舒雁 石濤詩 1面 絖本墨書 51.6×107.5cm  平成10年 揚石隆一氏寄贈