22、松井如流とそのコレクション

22-3 松井如流旧蔵拓本について1

 

当館には松井如流旧蔵の100余件の拓本が収蔵されています。後漢や北魏、唐時代のものを中心に、二玄社の「書跡名品叢刊」や教科書に掲載の底本を含むコレクションとなっています。資料そのものに一見の価値がありますが、ここでは如流の作品と併せ見ることによって彼の書業の奥深さに触れることができます。今回は、後漢時代の拓本を中心にその背景もご紹介します。

 

松井如流の書学研究者としての原点は、吉田苞竹に師事し、大正13年発刊『碑帖大観』および昭和3年創刊『書壇』の編集に深く携わったことでした。昭和14年、『書論と書話』の一節は、自身のその後の方向性を示唆するようです。

 

私はひそかに、隷書の真摯なる研究家が出づれはきっと天下に名を成すであろうと信じている。それは漢隷を習って漢隷の形体だけに終らず、完白、譲之を臨して奴書とならず、之謙、黒柳、冬心を学んで奇怪に陥らず、ほんとうに新風がひらけたものでなければならない。

 

戦前のそういった気付きが、戦後いち早く示された作品もあります。

 

左が「独酌」、右が「裴岑碑」 いずれも昭和25年

 

戦後の如流の生き方を決定づけたのは昭和24年に『書品』を西川寧と共同編集することになったことでした。この雑誌は現代書学の最前線といえるものです。

 

如流旧蔵の主要な拓本については、二度の訪中時に多く手に入れたといいます。昭和33年に日本書道団として赴いたころには、「開通褒斜道刻石」(22-1でご紹介)や「石門頌」などを有り金をはたいて入手したそうです。目を皿のようにして故宮博物院を見学したようで、その感動は昭和33年、「韋応物 石鼓歌」の落款にも確認されます。古隷から八分隷へという過渡期的な表現は、如流の書作に大きな影響をもたらしました。その頃の作品は話題となり、如流の研究と制作との連なりに多くの関心が集まったわけです。

 

二種の「石門頌」

 

「大吉」 昭和34年 第一回東京書道会展出品作

 

20世紀、甲骨文字が発見されて以降、金文や木簡などの多数の資料が発掘紹介され、それまで法帖が中心だった書における古典の世界は、新しい広がりをみせていました。加えて書展の発展にともなう作品形態の変化が共鳴して、多様な背景を持った現代作品が生まれていきます。如流の表現は、書学研究の勢いの趣くところに、自然と向かっていきます。

 

「権銘」 隷書の萌芽を秦拓にも見出しました

 

「祀三公山碑」

 

「崇山太室少室石闕銘」

 

「北海景相君碑」

 

また、昭和55年の東方書道院の講演会では、「章草なり行書化したものに興味がある」と語っています。木簡に八分が生まれ、隷書が崩れて草隷となり、さらに草書に波法が残るような章草となり、草書が生まれると如流は考えています。20世紀の新出資料を見ることはなかった顧藹吉や翁方綱、包世臣、楊守敬の八分論をふまえながら、如流の論は展開します。如流は漢代の書は八分への動きのみならず、常に草書へ赴く勢いがあったと分析しています。昭和31年刊行の「定本書道全集」(名著普及会)において如流は漢代の書の解説を担当しますが、説文解字の序「漢興って草書あり」は虚言ではなかったと、その書体の完成にいたるまでをつぶさに追い求めています。

 

「多くの書家達は漢の書といえば、碑碣文字にのみに心をそそぎ、漢器の金文、漆器や瓦塼の文字、漢印の風にともすれば無関心であるが、漢の書を研究するとすれば、これらのもの並に木簡の書と併せて、攻究するところがなければならぬ。」

 

漢代に完成をみる八分の美は、当時の権威者や貴族に付随したろう書で、様式化した美であり、そういった書は権威を正せば正すほど個性に乏しくなる惧れがあるとします。典型的な八分により隷法の根底を養った上で、野性味が強い、どことなく庶民的な香りを発散するようなものを取り入れて行ってこそ、隷書として今日に生きる書が生まれるというのです。自ら蒐集した拓本を手許に、そうした追究はなされていくのです。

「開通褒斜道石刻」は前漢の古隷に近く大らかな風姿で、後世の人の及ばない素朴な精神があるとし、

「石門頌」では文字がさらに整っていき、かつ自然体でこころよい響をあげていているとします。

「楊淮表紀」においてはその土地その時代に想いを馳せ、大きな自然の懐にあって生まれた「無技巧」な素朴さを評価します。そこに新しい芸術の萌芽を見出すことになるのではないかとも述べています。

如流のコレクションには、整斉な八分隷の他「西狭頌」「魯峻碑」「校官之碑」などのような古朴な隷書の拓本が多いことも特徴です。

 

「楊淮表紀」

 

二種の「西狭頌」

 

「魯峻碑」

 

また、如流が傾倒した「開通褒斜道刻石」「石門頌」「封龍山頌」「西峡頌」などについては、二種ずつ拓本を求めています。如流は先のテーマでご紹介した田近憲三とも親交があり、書跡名品叢刊(二玄社)の底本となった田近本の「曹全碑」(当館蔵)では、如流がその解説を担当しています。同じ時代に拓本蒐集に熱中した二人のコレクションが当館にもたらされたのも何かの縁でしょう。

 

如流はやがて書家として「金石聲」や「日新」、「心事數莖白髪 生涯一片青山」などの作品を生みだすわけですが、それに至るまでのこうした経緯を想うと、このコレクションを扱うわたくし共はとても感慨深い気持ちになります。(谷本真里)

 

 

「心事數莖白髪 生涯一片青山」 昭和36年 第五回東方書道院展出品作

 

【掲載収蔵作品】
作品:「裴岑碑」一幅 昭和25年 紙本墨書、「独酌」一幅 昭和25年 紙本墨書、「大吉」一面 昭和34年 第一回東京書道藍会展、「心事數莖白髪 生涯一片青山」 六曲半双屏風 昭和36年 第五回東方書道院展
拓本:「石門頌」「陶量銘」「祀三公山碑」「崇山太室少室石闕銘」「北海景相君銘碑」「楊淮表紀」「西狭頌」「魯峻碑」