22、松井如流とそのコレクション
22-4 松井如流旧蔵拓本について2
天なるや雲峯山の崖ごとに文字ほりしとふ鄭道昭のとも
今もなほ雲峯山にほりし文字定かならむをゆきて見難し
良き崖を見つけ見つけて字をほりつ楽しましけむ古へ人は
己れ書きおのれほりたる崖の文字朝夕みつつありけむ人ども
これらは吉田苞竹刊行『碑帖大観』の歌壇に載った如流の歌です。雲峯山に刻まれた鄭道昭の書を題材にしています。如流は橋田東聲に歌を師事し、歌人としても活躍しました。先にご紹介したように、如流にとって歌と書は表裏一体で、それぞれが支えとなり人生をまっとうしたように見えます。
如流の書に取り組む心持ちは、歌からも捉えることができます。愛玩の拓本の名を詠みこんだ歌もあります。
顔真卿の書丹の碑いくつ見つづけて逞しき筆の跡に気おさる
室内のうすき光に七仏をわれは見すかす集字聖教序碑 ※『近代中国の書』中国詠草より
鄭道昭への傾倒ぶりは、如流自身が担当した『書品』59号の特集「鄭道昭・観海童詩」や、『中国書道史随想』の「鄭道昭雑感」にもよく表れています。『書壇』や『書の友』などの各書道誌には、原拓を掲げ、臨書指針などをたくさん寄稿し、書家らしい実体験に裏打ちされた古典の捉え方を述べています。行草書の典型を王羲之が造り、楷書が羲之歿後に完成したという見解をとりながら、特に北魏時代に壮観を極めた碑刻に魅せられたようで、蒐集の拓本にも「鄭羲下碑」をはじめその時代の優品がそろっています。
「曹望憘造像記」は戦前に模刻本二種を買い求め、訪中時に原石の拓本を入手したようです
如流は『書品』(13号)では真蹟の存在しない王羲之の搨模本について特集したり、「秦の時代の篆書の定型化(小篆)、漢の時代の八分の定型化(隷書)につぐもの」として唐の楷書を据えるなど、書体の変遷を独自の視点からまとめ、学書の対象としてもその視野を広げました。最も関心の高い磨崖碑ではどうしても補いきれない筆意を、唐代の拓本に求めたようにも見えます。
このテーマを通して、如流の書業を振り返ると、書家であるとともに書道史研究者として大きな足跡を残していることに改めて気付かされます。ご紹介した如流の作品や拓本はほんの一部です。来年開催する「生誕120周年 松井如流展」において当館が所蔵するコレクションの全貌を明らかにする予定ですので、ぜひご注目いただければと思います。(谷本真里)
【掲載収蔵拓本】
「鄭羲下碑」、「論経書詩」、「顏氏家廟碑」、「集字聖教序」(鳴鶴題簽)、「張猛龍碑」、「高貞碑」、「曹望憘造像記」、「雁塔聖教序」、 餘清齋帖「十七帖」