23、印と印譜
23-3 木に文字を刻す
成田山表参道を歩くと、毛筆文字によるのれん、またそれを木に刻した看板などがいたるところに見られます。変体仮名による「生楚者(きそば)」や「せん遍以(せんべい)」、「志る古(しるこ)」屋さん、いかにも巌谷一六らしい楷書体の「若松本店」、それぞれに特徴あるお食事処の看板など、その文字はお店のイメージとともに多くの人々に親しまれ、馴染んでいます。また、今井凌雪が書いた「文部科学省」の看板はテレビでよく目にしますし、石井雙石は東京大学や文部省、最高裁判所などの公的な用印を手掛けました。日本では木や石に文字を彫りつけるといういとなみによって生まれる用の美を享受してきました。今回は木に刻された書の魅力をご紹介します。
中村蘭台(初世)は明治二十年代から徐三庚の刻風に傾倒したことで作風が変化し、古印や鐘鼎の銘、瓦磚文などを積極的に吸収したことで知られる近代を代表する篆刻家の一人です。彼は印面のみならず紐や側款にも工夫を凝らし、特に木印を得意としました。木額や欄間などの建具や調度、盆や筆筒などあらゆる器物に多彩に刻しています。生活に彩りを与えた彼の技術は、それを用いたり目にしたりする人びとを大いに喜ばせたことでしょう。
その子、中村蘭台(二世)もまたその流れを引き継ぎました。こちらは老子の語を全て木印に刻したもので、二世蘭台の代表的な仕事が集まります。昭和二十三年から四十年にかけて制作された五十顆を、子息中村淳が二百部限定で押印、刊行しました。
こういった刻字文化は、やがて戦後の書壇において新たな形に昇華されました。香川峰雲は、刻字の芸術性にいち早く注目し、昭和38年の毎日書道展に刻字部門を新設、昭和45年には日本刻字協会を創立、学校教育にも刻字を導入しようと活動しました。こちらの刻字作品は、筆意が刀意を上回るような立体的な書作品です。現代に見合った篆刻作品も、いち早く手掛けています。
『生誕百年香川峰雲記念集』の対談で、辻元大雲先生は教育現場において篆刻と刻字は生徒の関心が高いといいます。父である峰雲のあぐらの中に入って手元をよく見つめていたという、香川倫子先生の話もまた、「刻する」魅力を端的に語ります。泥の壁に刻したのが人間の初めの文字表現であり、刻すことは本能的なものであるといいます。
私たちの生活にも刻字はなじみ深いものです。刻された文字を見かけたら、じっくりその味わいを楽しむのも良いですね。(谷本真里)