24、松﨑コレクションの古筆

24-6、古筆手鑑『濱千鳥』

 

表に78葉、裏に82葉、合計160葉もの古筆や古写経が収められた『濱千鳥』は、ブログ№12で紹介した古写経手鑑『穂高』とともに青鳥居(松﨑コレクション)を象徴する手鑑です。

松﨑春川が10年あまり待ち焦がれ、昭和44年にようやく手にした念願の手鑑。佐野常民旧蔵と伝え聞き、満を持して購入したそうです。春川による「子々孫々宝蔵すべし」との書きつけがあり、さらに、この『濱千鳥』を詠んだ漢詩を条幅に揮毫しています。青鳥居でいかに愛蔵されてきたか、その想いが伝わってきます。

手鑑は江戸時代ころの仕立てと思われますが、中正先生はこの手鑑を50年あまり手元において、平成22年まで改編の手を加えました。空いているところに新たに獲得した断簡を貼ったり貼り代えたりしています。まさに父子二代にわたって賞翫されてきた『濱千鳥』は松﨑コレクションの白眉といえるでしょう。

 

手鑑を作るとなると、多くの枚数を用意しなければならず、近年のものや短冊などを収めて分量を増やそうとすることがあります。しかし、この手鑑はそういったことはなく、短冊もほとんどありません。有名手鑑にあるような「高野切」や「寸松庵色紙」といった名筆はありませんが、「関戸本古今集」をはじめ、「筋切」や「烏丸切」、「民部切」などの有名な古筆が含まれています。さらに注目すべきは、伏見天皇や藤原俊成、定家、歴代の世尊寺家をはじめとする鎌倉から南北朝時代にかけての書跡が充実していることです。今後、研究を進めていくと、現在は伝称筆者のものが自筆と判明するものがあるかもしれません。

 

「唐子切」

濱千鳥№74「唐子切」

 

こちらは唐子が摺り出された唐紙に、『古今和歌集』を書写したもの。切名は料紙にちなんで「唐子切」と名付けられています(「鶉切」ともいう)。もとは冊子本でした。松﨑コレクションには「唐子切」がもう一葉あります。この一幅と濱千鳥の断簡は歌が連続し、もともと冊子本の左右の頁にあったものなのです。

 

 

 

ある時期に切断され、唐子は2人ずつ離れ離れになったわけですが、それが松﨑邸(青鳥居)で再会しました。引き寄せられたかのように、縁を感じます。
もとは見開きでこのような姿だったのです。

 

 

ならべてみると、来歴が異なるために、料紙の色合いに差があることがよくわかります。
『古今和歌集』巻十七雑歌上909番から915番までの歌をこの見開き頁に区切りよく収めようとしたのでしょうか。書き進めるに従って行間は狭くなり追い込んで書いています。
文字の大小や線の太細、墨の潤渇の変化に富み、所々に大胆に伸ばす線が見受けられ、軽快な運筆で書き進めます。藤原顕輔の筆と伝えられていますが、やや時代の降った鎌倉時代初期ころのものでしょう。

 

 

「八幡切」

濱千鳥№43「八幡切」

 

紙面上下に藍色の打曇のある料紙に『千載和歌集』巻第七離別を書写した断簡で、もとは綴葉装の冊子本だったようです。このほかに紫色の雲紙も用い、『後拾遺和歌集』を書写したものも伝存します。

平安朝の懐の広い整斉な字形でゆったりとした穏やかな趣のある書風。平安時代末から鎌倉時代にかけて個性的な書風が展開されるなかで、温和な上代様の趣を受け継いだものといえるでしょう。ツレの断簡は「見ぬ世の友」、「翰墨城」、「藻塩草」、「大手鑑」などの手鑑にも押され、数多く伝存しています。

筆者の飛鳥井雅有は、雅経の孫にあたり、自ら家集を手掛け、歌人としても優れた人物。近年の研究で、雅有の自筆稿本とこの「八幡切」は同筆と認められ、古筆家の極めのとおり雅有の自筆と知られています。
上代様の趣のある筆跡と温かみのある淡い雲紙とがあいまって、静かな表情をみせる「八幡切」。鎌倉時代の仮名の名品と言えそうです。(田村彩華)

 

【掲載作品】成田山書道美術館 松﨑コレクション
古筆手鑑『濱千鳥』 縦40.5×横32.2×厚さ10.9㎝
濱千鳥№74 伝藤原顕輔筆 唐子切 鎌倉時代 彩箋墨書 24.4×16.4㎝
古筆№11 伝藤原顕輔筆 唐子切 一幅 鎌倉時代 彩箋墨書 24.0×16.3㎝
濱千鳥43 飛鳥井雅有筆 八幡切 鎌倉時代 彩箋墨書 23.5×16.0㎝
※番号は『青鳥居清賞 松﨑コレクションの古筆と古写経』図録と対応しています。