25、尾上柴舟、田中親美、鈴木梅渓
25-2、田中親美 「平家納経」法華経見宝塔品第十一(副本)
平安古筆や写経、絵巻など数多くの複製制作や鑑定、切断などを手掛けたことで知られる田中親美(1875-1975)を代表する仕事のひとつに「平家納経」の複製事業があげられます。この33巻および古美術複製につくした業績に対して芸術院賞恩賜賞を受賞しました。
厳島神社宮司高山昇の提案に応じた益田鈍翁をはじめとする多くの数寄者の援助を受けてはじまった「平家納経」の副本制作は、大正9年から5年かけて完成しました。親美は、優美な金具が施された表紙や軸や露、見返し絵や料紙は表裏ともに意匠をこらし、紐や装丁に至るまで精巧に再現しています。さらに肉筆の文字まで手掛け、一具を厳島神社に納めました。その後何度かに分けて複数組制作し、益田家や大倉家、安田家に納められ、現在は東京国立博物館に益田家伝来の模本が一組、大倉集古館にも大倉家のものが納められています。
今回紹介する「平家納経」法華経見宝塔品第十一は、宝珠ひとつに一文字ずつ書写し、紙背には葦手や四季の草木を描いた特に豪華な一巻です。
紙は越前五箇荘で特別に漉いた純鳥の子を用いています。表と裏を別々につくって合わせるため、特に薄いものを注文し、4度やり直してもらったといいます。この薄い紙を扱うのも大量に染める作業も至難の業。藍や紫、丁子などの植物を煮出しては繰り返し染め、染色屋のような作業を続けたといいます。
さらに箔や下絵などの装飾は、原本の金箔や銀箔の配置を、丁寧に硫酸紙に写し取ることから始めます。切箔、野毛、砂子も金と銀にわけて、描き文様、地文様、葦手など、分解式に別々に写しとっていきます。それを下敷きにして本紙を上にあてて礬水を引き、本紙が濡れて半透明になることで浮き上がってきた文様の通りに切箔や野毛、砂子を置いていくのです。言う分には簡単ですが、これも手間のかかる作業です。料紙だけでどれだけの時間を費やしたのでしょう。色味はどうしても原本を見なければ忠実に再現できず、数本ずつ借りて確認しながら作業を進めたようです。
竹田道太郎氏によると、宝塔品の本紙の裏は葦手を描いた豪華なものですが、着手するはじめの膠がほんのわずか甘かったために、完了間際になって一部分剥落してしまったといいます。親美はどんなに僅少の差であっても見逃がすことはできず、初めからやり直したそう。親美の模本作りにかける執念が感じられるエピソードです。
料紙が完成すると次は文字を写していきます。絵を写すのには弟子の力を借りたようですが、書は親美の仕事。写真を原寸にして紙の近くに置き、何度も確認し、眼に書を焼き付けながら本紙に書いていく作業を繰り返しました。
昨年、東京国立博物館で開催された「田中親美平家納経模本の世界―益田本と大倉本―」展では、この宝塔品の益田本と大倉本とを比較した展示が行われていました。
東京国立博物館蔵 平家納経模本 宝塔品 第十一(益田本) 図録より転載
東京国立博物館蔵 平家納経模本 宝塔品 第十一(大倉本) 図録より転載
成田山書道美術館蔵 平家納経模本 宝塔品 第十一
このように3巻並べてみると箔の大きさや配置、細かな装飾まで、どれも同じようです。念入りな準備から慎重な作業が進められていたことがわかるでしょう。また文字の出来栄えは、写しとは感じさせないほど完成度の高いものです。
国宝「平家納経」は昭和47年に大規模な修理が行われましたが、巻が太くなったため、もとの国宝「金銀荘雲竜文銅製経箱」に納まらなくなってしまいました。修復前に制作されたこれらの副本は、もとの姿を知ることのできる貴重な資料といえるでしょう。(田村彩華)
【掲載資料】成田山書道美術館 松﨑コレクション
田中親美作「平家納経」法華経見宝塔品第十一(副本) 一巻 大正時代 彩箋墨書 26.0×330.4㎝